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城跡めぐりコース

目安:3時間程度
サイクリング

コース概要:横田城跡及び彼岸桜と山桜▶阿曽沼公歴代の碑▶清心尼公の碑▶加茂神社と御神木の桜▶鍋倉城跡

中世の遠野を治めた阿曽沼氏が行った城替えを歩いて体験。猿ケ石川、早瀬川、来内川を超えて遠野盆地を山から山へ。阿曽沼氏の後に遠野を治めた南部氏の名君である女殿様・清心尼公の碑にも立ち寄りたい。

2024年版「世界の持続可能な観光地トップ100選」に選出された遠野市。なかでも評価されたのは遠野市独自の地域遺産制度「遠野遺産」です。神社や史跡、巨木、滝、石碑、さらには年中行事や郷土芸能といった地域の宝を巡ってみよう!

城跡めぐりコース

遠野遺産第96号 横田城跡及び彼岸桜と山桜

観光の目安:約15分

横田城は阿曽沼氏が元々拠点としていた城。今の鍋倉城跡からは約5キロも北にありました。横田城の築城年代は諸説あり定かではありませんが、天正年間に第13代阿曽沼広郷が鍋倉山に移るまで阿曽沼氏の居城でした。城内には薬師堂があり、建武元年(1334)南部師行が巡検した際に大御堂が建立されましたが、その後焼失し現在は小堂が残っています。彼岸桜(推定樹齢300年、樹高17m、目通幹周4.6m)と山桜(推定樹齢300年、樹高16m、目通幹周4.7m)は遠野市の指定天然記念物です。

自転車で移動:約10

遠野遺産第84号 阿曽沼公歴代の碑

観光の目安:約10分

阿曽沼氏は藤原秀郷の流れを汲む氏族で、文治5年(1189)奥州征伐の功により阿曽沼広綱が遠野郷を安堵されて以来、慶長5年(1600)まで遠野を支配しました。阿曽沼公歴代の碑は、昭和28年9月23日に日蓮宗開宗700年にあわせ阿曽沼家の子孫などによって建てられたものです。五輪塔はもと阿曽沼家の菩提寺であった養安寺にあったもので、養安寺に仮住まいしていた善明寺が現在地に移転する際、墓碑と思われる2基の五輪塔を移しましたが、1基が阿曽沼氏の墓として現在地に安置され、1基は善明寺に市指定文化財として保存されています。

自転車で移動:約10

遠野遺産第86号 清心尼公の碑

観光の目安:約10分

阿曽沼氏の後遠野を治めた南部氏は八戸から遠野に移った八戸南部でした。清心尼は南部家第20代直政の夫人で、直政の没後第21代を継いだ珍しい女城主でした。剃髪して清心尼と称し、新田家から直義(直栄)を養子に迎えました。遠野への移封後は、盛岡を治める離れる直義に代わって、清心尼を中心に政治が行われたといわれています。正保元年(1644)6月4日鍋倉山の横田城で死去し、光興寺の大慈寺に葬られました。

自転車で移動:約15

遠野遺産第77号 加茂神社と御神木の桜

観光の目安:約10分

中世には領主・阿曽沼氏の信仰が篤く、例祭には境内の馬場で競馬神事が行われたという加茂神社。創建は明らかではありませんが、文治五年(1189)とも、南北朝時代とも伝えられています。祭神は別雷命。寛永十七年(1640)には遠野南部氏22代直義(直栄)が五尺四面の宮を建立しました。幹周4.2mの御神木の桜(惜しくも2012年に強風により倒木)をはじめ、杉の古木、石碑が立ち並ぶ境内は、歴史を感じさせる憩いの場となっています。

自転車で移動:約15

遠野遺産第63号 鍋倉城跡

観光の目安:約30分

鍋倉城跡は、大規模な中世山城の遺構を良好に残し、それをほとんど改変することなく近世城郭として利用し、戦国時代から明治維新まで存続した極めて貴重な城郭遺跡として、2024年、国の史跡に指定されました。
天正年間(1573~1592)に阿曽沼氏が築城した事に始まり、後に遠野南部氏の居城となり、明治二年の廃城まで約290年間もの長きに渡って遠野を統治した主城跡です。玄関跡の葺き石、礎石の残る本丸や家臣の屋敷があった平場、空堀などの遺構が400年ほど経過した現在も残されている。この城を築いたことにより城下町が形成され、今日の市街地となりました。城跡は眺めの良い都市公園として市民、観光客に親しまれています。

コースマップ