遠野物語の日に歩く――物語の舞台・山口集落
◆『遠野物語』の世界へようこそ
6月14日は、「遠野物語の日」。
明治43年(1910年)のこの日、柳田國男が『遠野物語』を世に送り出しました。
神様、妖怪、数々の不思議な出来事――
それらはすべて、実在する村や人々の中で語られてきた“本当の話”。
『遠野物語』に登場する多くの話の舞台になっている山口集落について、今回は文化財としての価値にも触れながら、現実と物語が織り交ざる文化的景観を楽しむ旅をご提案します。
◆山口集落ってどんなところ?
1. 山口集落の概要|語りのはじまりの場所
柳田國男と遠野出身の佐々木喜善が出会わなければ、『遠野物語』は世に出なかったかもしれません。
今回ご紹介するのは、柳田に遠野の話を語って聞かせた佐々木喜善が生まれ育った場所である、山口集落です。
初版の序文にはこのようにあります。
「この話はすべて遠野の人佐々木鏡石(きょうせき)君より聞きたり。」
鏡石(きょうせき)とは、佐々木喜善のペンネームです。「日本のグリム」とも呼ばれる佐々木喜善。上の文章から、彼こそが『遠野物語』を柳田國男に語り聞かせた人物だとわかります。
そんな彼の故郷・山口集落は、遠野市の北東部・土淵地区の中に位置します。土淵地区は宮古市・大槌町・釜石市と接しており、昔から交通の要所として知られていました。中でも山口集落は、大槌町へと抜ける大槌街道、釜石へとつながる山口の街道という2つの街道がぶつかる場所にあり、人の往来が多かったため、多くの物語が生まれました。
いまでも山口集落には『遠野物語』に登場する場所・地名が多々残っています。一方でおよそ50世帯、約150名が居住しており、観光地としての性格と生活空間としての性格を併せ持つ、独特な雰囲気を感じることができます。
2. 風景の文化財! | 学芸員さんに聞いた山口集落の魅力
『遠野物語』の舞台として有名な山口集落ですが、実は2013年に国の重要文化的景観に選定されています。東北ではたった4か所しかないうちの1つです。文化的景観とは何なのか?遠野市文化課の熊谷さんに伺いました。
熊谷:「(一般に)文化財というと、1点1点が文化財みたいな感じだと思うんですけど、文化的景観というのは、『ここ一帯が文化財』みたいな考え方の制度なんですね。」
「風景の文化財」ともいわれる文化的景観。寺社仏閣など特定の一つが文化財なわけでなく、山口集落全体の風景それ自体が文化財なのだとか。
もちろん文化財に選定された理由も明確です。4つの選定理由があります。
一番は言わずもがな、「『遠野物語』の説話の舞台となった場所や家屋敷が集まっていること」。
熊谷:「水車とか、喜善の生家とか、あと古墓とかあるんですけど、そういうふうなものが点在しているのを面でみるような文化財が、文化的景観というものです。その中で遠野物語の里ということで、土淵山口集落も、一帯が文化財です。」
山口集落全体に『遠野物語』の舞台となった場所が点在しているため、文化財に選定された空間の中に自分がいる、そしてその中を歩けるという特別な体験ができるのも文化的景観・土淵山口集落の魅力の一つです。
二つ目は「二つの街道を軸に発展した集落であること」。人の往来がないところに物語は集まりません。山口集落は大槌と釜石へ、街道がちょうど2つに分岐するところにあります(地図参照)。昔はこの街道を往来する人たちのために、休憩や宿泊ができる茶屋などがありました。茶屋でわいわい話す旅人たちのお土産話が、山口集落に集約されたのかもしれません。
三つ目は「伝統的生活文化を示す共同社会の継承により、季節感と生活感のある景観が維持されていること」。やはり山口集落の魅力は、現在も人が居住して文化を継承しているところにもあります。
熊谷:「文化的景観を含め、文化財は『人がいないと守られないもの』です。特にも文化的景観は『人がいてこその、人の生業があってこその景観』なので、人がいなくなると一気にダメージを受けてしまいます。そういう意味ではやはり人が住んでいて、生業があって、暮らしているっていうのが大切なんですよね。」
人がいないと継承されない、けれど開発の手が入りすぎると景観が壊れてしまう。その絶妙なバランスを100年以上保ち続け、喜善が生きた集落の様子を大きく変わらず現代に伝えている山口集落。文化財になった貴重さがわかってきました。
最後に、今回『遠野物語』のスポットを巡るにあたって覚えていただきたい特徴が、「遠野地方における集落構造の特徴をよくあらわしていること」。選定理由の4つ目です。
熊谷:「土淵山口集落は、断面図にするとこんな形になってるんですね(写真参照)。街道と家があって、そばに川があって、その少し高いところには薬師堂のような社堂があります。このような集落構造は、市内のほかの集落にも見られるもので、山口集落はその代表的な例と言えます。」
山あいに形成された遠野らしい典型的な集落なんですね。熊谷さんのお話に基づきながら、遠野の集落構造、という観点で山口集落を旅していきましょう。もちろん『遠野物語』は必携です。『遠野 土淵山口集落散策ガイド』はこちらから。
◆物語が生きている土地を巡る
3. 山口の街道と姥子淵(おばこぶち) | 集落の要「街道」と「川」
山口集落は遠野駅からおよそ8km離れた場所にあります。自家用車やレンタカーで行くのがおすすめです。サイクリングの場合は遠野駅から40分ほどで行くことができます。まずは駐車スペースのある「山口の水車小屋」に向かいましょう。国道340号を北に向かって走っていくと、「国選定重要文化的景観 遠野 土淵山口集落」という看板が見えるので、そこを右折。それから道なりに進んでいくと大槌街道との分岐点にぶつかります。
右側が「山口の街道」、左側が大槌街道です。昔の旅人たちも、この道をえっさほいさと歩いたのかもしれません。この道沿いに昔はお店があったのかな、旅をしながらどんな話をしたのかな、といろんな想像が膨らみます。この分岐で右折し、水車小屋付近の駐車スペースに車を停めましょう。
水車小屋から姥子淵までは徒歩3分。本当に街道の横に川がありますね。断面図の通りです。
それだけではありません。実はカッパ淵に行ったことがある人にもぜひ訪れてほしいこの姥子淵は、『遠野物語』第58話に登場する、カッパの聖地です。
第58話
「小烏瀬川の姥子淵の辺に、新屋の家という家あり。ある日淵へ馬を冷しに行き、馬曳の子は外へ遊びに行きし間に、川童出でてその馬を引き込まんとし、かえりて馬に引きずられて厩の前に来たり、馬槽に覆われてありき。家のもの馬槽の伏せてあるを怪しみて少しあけて見れば川童の手出でたり。村中のもの集まりて殺さんか宥さんかと評議せしが、結局今後は村中の馬に悪戯をせぬという堅き約束をさせてこれを放したり。その川童今は村を去りて相沢の滝の淵に住めりという。」
「姥子淵(おばこふち)」と書いているではありませんか。『遠野物語』によれば、昔姥子淵という川で馬を冷やしていた際、カッパが出てきて馬を丸ごと川に引き込もうとしたんだそうです。カッパ怪力!しかし、結局いたずらは失敗。いたずらをしたカッパは厩まで連れていかれ、村中のものに怒られて「以降いたずらはしない」と約束し、相沢の滝の淵に移動したようです。残念。ここにはもうカッパはいないんですね。どこへ行ったのやら。
遠野を訪れる方の多くは土淵のカッパ淵でカッパ釣りをして満足して帰ってしまいますが、カッパが目撃された場所は、わかっているだけで14箇所もあります。(調査中を含めると20箇所以上とも)土淵のカッパ淵もよいですが、姥子淵へ行けば、よりカッパに一歩近づけるかもしれませんよ。
4. 孫左衛門の屋敷跡|川のそばの人家にザシキワラシがいた!?
孫左衛門の屋敷跡は、誰もが知る「ザシキワラシ」がいた、そしていなくなったとされる場所です。現在では屋敷そのものは残っていませんが、のどかな風景の中に一本の木がポツンと立っており、どこか儚げで寂しい空気を感じることができます。
そしてまたしても、遠野の集落構造に代表されるように川のそばの少し高いところに人家が建っていることがわかります。
ちなみに遠野ではザシキワラシは「妖怪」ではなく「神様」あるいは「精霊」のような存在とされています。『遠野物語』への登場の仕方からも「人々を驚かす」存在ではなく「家を守る」存在であることが読み取れるのではないでしょうか。
第18話
「ザシキワラシまた女の児なることあり。同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門という家には、童女の神二人いませりということを久しく言い伝えたりしが、或る年同じ村の何某という男、町より帰るとて留場の橋のほとりにて見馴れざる二人のよき娘に逢えり。物思わしき様子にて此方へ来きたる。お前たちはどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門がところからきたと答う。これから何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答う。その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮せる豪農なり。さては孫左衛門が世も末だなと思いしが、それより久しからずして、この家の主従二十幾人、茸の毒に中りて一日のうちに死に絶え、七歳の女の子一人を残せしが、その女もまた年老いて子なく、近きころ病みて失せたり。」
昔山口孫左衛門という家には、女の子のザシキワラシが2人いると言い伝えられていました。ある時、町から帰ってきた男が、今まで見かけたことのない二人の女の子を見かけたので「どこから来た?」と声をかけると二人の女の子は「山口孫左衛門のところから来た」と答えました。続けて「どこに行くの?」と聞くと「ある村の、何某の家に行くことにした」と答えたそうです。その何某さんの家は今でも立派な暮らしをしている長者なので、男は孫左衛門の家も終わりだなあと思いました。するとそれから少しして、この家の二十数人がキノコの毒にあたって死んでしまったのです。7歳の女の子は無事でしたが、その子は年をとって子どももおらず、最近病気になって死んでしまったというお話です。
ザシキワラシのいる家は裕福になるという話は有名ですが、これは『遠野物語』第17話、第18話にも記載があります。
また第18話に登場した孫左衛門ですが、このあと第21話まで孫左衛門のお話が続きます。ザシキワラシの不思議な話に柳田も魅せられ、なんでキノコを食べちゃったの?他には孫左衛門の話ないの??と前のめりに話を聞いていたのでしょうか。
◆合わせて行きたい 佐々木家住宅 | 佐々木喜善の生家
もう少し下っていくと佐々木家住宅があります。「日本のグリム」佐々木喜善が生まれ育った家です。佐々木喜善の生家は現在も住宅として使用されているため、遠くから眺めるだけに。写真撮影・内部の見学はご遠慮ください。
5. 山口の薬師堂|高台のお堂 vs 家の稲荷様
ここまで、街道、川、人家と見てきました。今度は一段高いところに上ると、山口の薬師堂があります。もちろんこの薬師堂も『遠野物語』に記載があります。また孫左衛門が登場します。
第21話
「右の孫左衛門は村には珍しき学者にて、常に京都より和漢の書を取り寄せて読み耽りたり。少し変人という方なりき。狐と親しくなりて家を富ます術を得んと思い立ち、まず庭の中に稲荷の祠を建て、自身京に上りて正一位の神階を請けて帰り、それよりは日々一枚の油揚を欠かすことなく、手ずから社頭に供えて拝をなせしに、のちには狐馴れて近づけども遁げず。手を延ばしてその首を抑えなどしたりという。村にありし薬師の堂守は、わが仏様は何ものをも供えざれども、孫左衛門の神様よりは御利益ありと、たびたび笑いごとにしたりとなり。」
孫左衛門は狐(=稲荷様)と仲よくなれば家が繁栄するだろうと思い、庭に祠を建てました。毎日狐に油揚げを一枚ずつあげているとそのうち狐が慣れてきて近づいても逃げないほどまで仲良くなったのだとか。しかし村の薬師堂の堂守は、「うちの仏様なら何もお供えをしなくても、孫左衛門の神様よりはご利益があるぞ」と笑いものにしたというお話です。
最後に出てくる堂守さんがいる薬師堂が、「山口の薬師堂」だと言われています。孫左衛門に愛着を持ち始めた方からすると、ちょっと嫌なお話に聞こえるかもしれませんが。古くからある薬師堂の堂守さんにとっては急に祠を建てて「神様だ」と言われても納得いかなかったのか、はたまたもともとこの二人仲が悪かったのか?またもや想像が膨らみます。
6. ダンノハナと佐々木喜善墓地 | フィクションとノンフィクションの交差点
最後は村を一望できるダンノハナに行きましょう。集落の中でもっとも高い場所にある共同墓地です。こちらも遠野の集落構造の特徴を表しています。
第112話
「ダンノハナは昔館のありし時代に囚人を斬りし場所なるべしという。地形は山口のも土淵飯豊のもほぼ同様にて、村境の岡の上なり。仙台にもこの地名あり。山口のダンノハナは大洞へ越ゆる丘の上にて館址よりの続きなり。(以下略)」
佐々木喜善の墓もあり、現在も共同墓地として利用されているダンノハナですが、館のあった時代には処刑場だったようです。地形が「村境の岡の上」というのも、今に残るダンノハナとまったく同じで、この場所だろうと推測できます。続けて第114話も見てみましょう。
第114話
「山口のダンノハナは今は共同墓地なり。岡の頂上にうつ木を栽えめぐらしその口は東方に向かいて門口めきたるところあり。その中ほどに大なる青石あり。かつて一たびその下を掘りたる者ありしが、何ものをも発見せず。のち再びこれを試みし者は大なる瓶あるを見たり。村の老人たち大いに叱りければ、またもとのままになし置きたり。館の主の墓なるべしという。此所に近き館の名はボンシャサの館という。いくつかの山を掘り割りて水を引き、三重四重に堀を取り廻らせり。寺屋敷・砥石森などいう地名あり。井の跡とて石垣残れり。山口孫左衛門の祖先ここに住めりという。『遠野古事記』に詳かなり。」
ダンノハナの中ほどにある大きな青石。昔その下を掘った人が二人いましたが、一人目の時は何も出てこなかったにもかかわらず、二人目は大きな瓶(かめ)を発見しました。しかし大きな瓶を発見した人は村の老人たちにこっぴどく叱られて、瓶をもとの場所に戻します。その瓶は館の主の棺ではないかと考えられていたのです。喜善もそうに違いないというような口ぶりで「『遠野古事記』に詳細が書いてある」と語っていますが、実は『遠野古事記』にそのような記載はありません。
これぞまさに『遠野物語』の真骨頂。どこまでが実話でどこからが物語なのか?自らの目で確かめてみたくなりませんか?物語と現実が交差する空間・山口集落があなたを待っています。
◆合わせて行きたい デンデラ野|デンデラ野なのか?蓮台野なのか?
山口集落でもう一つ有名なのが「デンデラ野」。ですが実は「デンデラ野」という地名は、『遠野物語』には登場しません。『遠野物語』第111話に登場する「蓮台野(れんだいの)」がデンデラ野ではないかと考えられています。また、『遠野物語拾遺』第266話と第268話には「デンデラ野」という地名が登場します。やはり物語と現実の境目、ミステリーを体感できそうですね。
◆文化的景観と『遠野物語』の旅、いかがでしたか?
国選定の重要文化的景観である土淵山口集落。『遠野物語』の舞台であるこの地には、今も物語と現実が地続きになっているような不思議な空気感があります。物語に登場する場所を巡りながら、風景を楽しみ、115年前に思いを馳せる――
6月14日は『遠野物語』を片手に、本の中に登場する場所を訪ね歩く「体験型」の読書を楽しんだり、 語り部さんの民話に耳を傾けてみてはいかがでしょうか?
◆『遠野物語』販売情報 | 『遠野物語』を手に取ってみたい!という方はこちら
場所:内田書店、内田書店とぴあ店、観光協会、旅の産地直売所
定価:572円 (本体520円+税)
◆6月14日「遠野物語の日」イベント情報
6月14日は『遠野物語』の日です!これに合わせてさまざまなイベントも開催されます!また、当日限定で、遠野市立博物館の入館料が無料になります。この機会にぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか?
各イベントの詳細はこちら
- 柳田國男生誕150周年 遠野物語の日特別イベント
- 遠野物語感謝祭
- 博物館 入館料無料