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年の瀬の遠野―“普通と違う門松”に宿る冬の祈り

一年の終わりが近づくと、どの地域でもお正月を迎えるための準備がはじまります。そのひとつが、新しい年の訪れを知らせる「門松」です。

ですが遠野の門松は、一般に思い浮かべる竹を中心としたものとは少し趣が異なります。

背の高い栗の杭〈しのぐい・ハセ杭〉を柱に、若い松や笹竹などの常緑の植物を結び合わせたその姿は、素朴でありながら、冬の静けさの中に凛と立つ力強さを感じさせます。3メートル近く伸びる栗の杭に寄り添う松や竹、根元に並ぶ割木(わっちゃぎ)。地域によっては、しのぐいに弓矢を添え、北へ向けて悪しきものを祓うまじないとする家もあります。

年の瀬の遠野 遠野ふるさと村 門松

協力:遠野ふるさと村(門松)

この遠野の門松は、ただの正月飾りではありません。冬でも葉を落とさず青々と育つ常緑の植物にあやかり、「一年を健やかに過ごせますように」という願いを込めた祈りの形であり、この祈りは門松だけでなく、年末から小正月へと続く遠野ならではの年中行事ともつながっています。

遠野の暮らしは農業と深く結びついており、12月は家業や神仏へ感謝を伝える「年越し」の行事が続く季節。年の瀬は、一年をしめくくると同時に、新しい年を迎える心を整える大切な時期でもあります。

本記事では、まず遠野の門松に込められた意味を手がかりに、年末に行われる神仏の年越しや遠野の大晦日の過ごし方をたどります。そして次回の「新年の遠野」編では、大正月から小正月へと続く、冬の祈りの物語をご紹介します。

 

12月 ─ 家々が神様と「年越し」する月

年の瀬の遠野 伝承園 かまど神

協力:伝承園(かまど神)

年の瀬の遠野では、ピンと張り詰めた冬の空気のなか、家々が神仏に一年の無事を報告し、新しい年の加護を願う「年越し」の行事が続きます。12月になると、ほぼ毎日のように「〇〇様の年越し」が行われるのが遠野の特徴です。これは、家業や家の役割によってお祀りする神さまが異なるためで、その家が代々守ってきた日を選び、感謝の供物を捧げます。遠野の暮らしが、自然とともに営まれてきたことを物語る風習です。

主な神仏の「年越し」

田の神(3日)
小豆飯を供え、一年の収穫に感謝する。小豆の赤色には、古くから魔除けの力があるとされる。

お薬師様の年越し(8日)
医者や伯楽(獣医)へ一年分の勘定をまとめて納める。

針供養(8日)
折れた針・古い針を豆腐やこんにゃくに刺して供養し、糸仕事の神に感謝を伝える。

大黒様の年越し(10日)
俵団子を作り、炒り豆を一升瓶に入れてガラガラと鳴らしながら「お大黒にあげます」と唱えて福を呼び込む。

山の神(12日)
山仕事の家はこの日だけは山に入らず休み、山の恵みに感謝する。

若恵比寿(15日)
尾頭付きの魚を食べ、商売繁盛を願う。

観音様の年越し(17日)
慈悲深い観音様に感謝し、新しい年の安寧を願う日。

陸〈おか/おが〉の神(20日)
家の敷地や境界を守る神さまへの年越し。

太子講(22日)
大工・鍛冶屋など職人の守り神とされる聖徳太子を祀る。

 

とくに遠野らしい三つの年越し

これら神仏の年越しの中で、とくに遠野らしい年越しをもう少しだけ詳しく紹介します。

田の神の年越し(3日) — 収穫への感謝
農業が生活の中心だった遠野では、田の神へのお礼は欠かせないものでした。一年の実りを感謝し、小豆飯を供えます。小豆の赤色には「魔除け」の意味があり、節目の行事に欠かせない存在です。

大黒様の年越し(10日) — 音で届ける祈り
俵団子を作り、炒り豆を入れた一升瓶をガラガラ鳴らしながら「お大黒にあげます」と唱えて捧げます。「耳が遠い」と言われる大黒様に、音と言葉で福を届けようとする、遊び心も感じられる行事です。

山の神の年越し(12日) — 山とともに生きるまちの祈り
昔の遠野では、秋冬の仕事として薪を切り出したり、炭を焼いたりと、多くの家が山の恵みに支えられていました。そのため、多くの家では山の神の年越しは欠かせません。その重要さは遠野に数ある郷土芸能の神楽の中でも見られ、重要な祈祷舞として必ず演じられる舞でもあります。
神楽について⇒【遠野の郷土芸能:神楽

年の瀬の遠野 山の神の石碑

山の神の年越しの日は「山の神が山の木を数える日」とされ、山に入ることは禁忌。山に入れば人さえも「木の一本」として数えられるという伝承が今も語り継がれています。今でも林業に携わる人々のあいだで、この日は山に入らないという慣習が続いています。

 

クリスマスの頃まで続く「年越し」

こうした神仏の年越しは、ちょうど現代のクリスマスの季節まで続きます。一通りの年越しが終わると、いよいよ新しい年の豊かさをもたらすとされる「歳神様(としがみさま)」を迎える準備に入ります。

 

歳神様を迎える準備 ― 家を整える日々

年の瀬の遠野

神仏への年越しがひと通り終わると、遠野の家庭では、新しい年の豊かさをもたらしてくれる「歳神様(としがみさま)」を迎えるための準備が始まります。これから先の数日は、家そのものを整え、清らかな状態にして歳神様をお招きするための大切な時間です。

27日:煤掃き(すすはき) ― 家の清めを行う日

この日を境に、家の一年分の汚れをすっきりと祓い落とします。囲炉裏や天井の黒い煤を落とし、床や土間を掃き清めるなど、家じゅうの空気を入れ替えます。遠野の冬の厳しい寒さのなかで行うこの作業は、まさに「家の身づくろい」とも言える習わしです。清められた家は、「どうぞ今年もお越しください」という気持ちを形にする、歳神様を迎えるための大切な準備でした。

28日:餅つき・豆腐引き ― お供えとご馳走を整える日

翌28日には、いよいよ正月を迎えるための食の準備が本格化します。まずは餅つき。つきたての白い餅は、家を守ってくれる神棚・仏壇・台所・作業小屋など家中へと供えられ、お世話になった人へ贈る鏡餅の準備にも使われます。雪深い遠野の冬に、ほのかに立ちのぼる餅の蒸気は、今でも多くの人にとって「年の瀬らしい光景」の一つでもあります。

近年では、家で餅をつく家は少なくなり、しめ縄飾りや鏡餅、伸し餅などは産直施設や小売店で買い求めることも多くなりました。それでも、家庭で用意するにせよ店で買い求めるにせよ、「歳神様をきちんとお迎えしたい」という思いは変わらず受け継がれています。

さらに、豆腐引きも正月準備の大切な行事でした。

年の瀬の遠野

動物性のたんぱく源を得るのが難しかった時代、豆腐は貴重なご馳走。正月に備えて大豆を挽き、豆腐を用意する作業には、「新年を健やかに迎えられますように」という願いが込められていました。

こうして家の内外をととのえ、祈りのかたちを用意し、遠野の人々は静かに「年取り(大晦日)」へと進んでいきます。

 

門松を立てる ― 遠野の門松、祈りが宿るかたち

年取りの日(大晦日)には、正月に向け門松が立てられます。門松は歳神様が迷わず家に訪れるための「目印」であり、新しい年の豊かさを迎えるための大切な準備です。

注連縄(しめ縄)には稲わらが使われ、米の豊作を願う意味が込められています。また、注連縄には「家の内側が神聖な空間である」という結界の役割もあり、古くから家を守る象徴でした。

遠野の門松が持つ特徴は、「常緑の植物に託した祈り」です。冬の厳しい寒さのなかでも青々と葉を保つ松や笹竹は、生命力・再生・繁栄の象徴。遠野ではこれらの常緑樹を用いて門松を飾り、「寒さに負けず、来る一年も健やかに」という願いを込めてきました。

年の瀬の遠野 遠野の門松

しのぐい(ハセ杭)

門松の中心となるのは、まっすぐに伸びた栗の木の杭「しのぐい(ハセ杭)」です。神は木に宿ると考えられてきたことから、遠野では門松に強くたくましい栗の木が使われます。大きいもので高さは3メートルほど。2本を2メートルほど間隔を空けて立て、その年の始まりを支える柱とします。

遠野では、「ハセ杭」を毎年二本ずつ新しくする習慣があり、その新しい杭づくりが門松へと受け継がれたといわれます。

年の瀬の遠野

ハセ(稲架)は秋に刈り取った稲束を天日乾燥させるために、木を組んで作るハシゴのようなもの。それに使う杭をハセ杭と呼びます。つまり門松は、正月飾りであると同時に「農の暦」でもあります。

そして、このしのぐいに、若い松の枝、春に伸びた笹竹、そして若い栗の枝が縄で固く結び付けられます。

年の瀬の遠野 門松

 

松枝

三段に分かれた若松を使い、「神を待つ木(まつき)」と呼ばれます。常緑である松は、遠野では特に不変・祈り・寿ぎ(ことほぎ)を象徴する植物です。

笹竹

春に芽吹いた若竹を用います。竹は寒さにも負けず、まっすぐ空へ伸びることから、一家の繁栄を願う意味が込められています。遠野には大きな孟宗竹(モウソウチク)が生えないため、素朴な篠竹(シノダケ※メダケとも呼ばれています)などが利用されます。

栗枝

栗の枝も、若く三段に分かれたものを選びます。「やりくり」に通じることから、「一年の暮らしを上手にやりくりできますように」という願いが込められています。

このように、冬でも葉を落とさない常緑樹や、勢いのある若い枝を使い、来る一年の無事と繁栄を託しています。

 

割木(わっちゃぎ)と縄

年の瀬の遠野 門松

しのぐいの根元には、ナラや栗の丸太を半分に割った「割木(わっちゃぎ・おにうつぎ)」を、五本・七本・九本などの奇数本そろえ、皮の部分を内側に向けて並べます。これは「人と向き合うときは背を向けず、腹を見せて向き合う」(=誠実に向き合う)という教えを表し、家を訪れる福や神を、正面から受け止める気持ちが込められています。

割木は左右合わせて12本になるように並べ、一年を表します。(閏年は十三本になります)長さは三尺六寸五分(110.595cm)と決まっており、これは一年(365日)を表した長さです。このように、数字の上にも暦への祈りが込められていました。また割木をしのぐいに巻き付ける際、縄を3周・5周・7周と三段に巻き付け、縄は熨斗(のし)の形になるよう整えられます。

しめ縄は「七五三縄」とも書くこともでき、七・五・三という数は「締める(しめる)」に通じ、一年をきちんと締めくくる意味があります。

 

注連縄(しめ縄)に込められた願い

年の瀬の遠野 門松

門松の中央に張られる注連縄「げんでえ」には、さまざまな意味が込められた飾りが添えられます。

  • 幣束 …神への礼
  • 橙(またはミカン) …太陽の象徴
  • 昆布 …「喜ぶ」になぞらえた縁起
  • 煮干し …豊穣を表す
  • 大豆(7粒) …「まめに暮らす」になぞらえ

どれも身近な素材でありながら、遠野の暮らしの中で大切にされてきた「祈り」のかたちです。

 

飾って終わりではない ― 行事に受け継がれる素材

遠野の門松は「飾っておしまい」ではありません。
使われた素材は、次の季節の行事へと受け継がれていきます。

  • しのぐい →秋の「稲ばせ」の杭に
  • 割木(わっちゃぎ) → 田の神様に供える餅を作るときの薪に
  • 栗枝 → 小正月の「なり木」の台木に
  • 松葉 → 小正月の田植え行事で、早苗のかわりとして用いる
  • → 一月十一日の「麻まき」の行事で、麻の代わりとして用いられる

門松は、冬の祈りの始まりでありながら、春・夏へ続く農の暦にもつながる存在。遠野の暮らしと自然がひとつにつながった文化といえるでしょう。門松の片付けは7日の朝に行われるのが一般的で、地域によっては5日の「お供え開き」と同じタイミングで片づける家もあります。

 

大晦日 ─歳神様を迎える夜

大晦日の遠野は、華やかな賑わいよりも、しんと澄んだ空気に包まれる夜です。々では、家族がゆっくりと歳神様を迎える支度を整えます。今でこそ「お正月におせちを食べる」光景が一般的になりましたが、遠野では、かつて正月のご馳走にあたる料理は 大晦日に食べるもの。年の暮れに一年で最も豪華な食事をととのえ、家族そろって「年取りの膳」を囲むことで、新しい年を迎えてきました。

近年では、お正月におせちを食べる家庭も増えていますが、遠野では今もこの昔の名残が色濃く残り、大晦日に一年の締めくくりとしてご馳走を用意する文化が続いています。「年取りの膳」は単なるご馳走ではなく、歳神様をお迎えするための大切な儀礼。「この一年も無事に過ごせました」という感謝を表す場でもありました。

年の瀬の遠野 年取りの膳(サンプル)

協力:遠野市立博物館(年取りの膳サンプル)

年越しの膳の一例

煮魚
ブリやサケが使われますが、もっとも親しまれているのは「ナメタガレイ」。海のない遠野ですが釜石や気仙地方などの沿岸部との関わりが深く、ごちそうとして食べられていました。とくに子持ちは特別なご馳走。

煮しめ
遠野では、いわば「お祝いの盛り合わせ(オードブル)」のような存在。焼き豆腐、こんにゃく、油揚げ、車麩、しいたけのほか、家ごとの好みの具材が加わります。

甘酒
諸説ありますが、古くから米農家が前年の収穫に感謝し、その年の豊作を願って、収穫したお米で作られた甘酒を神様にお供えするというのが始まりだといわれています。このようなことから、甘酒は縁起が良い飲み物として新年の神社などで振る舞われるようになりました。

黒豆
黒豆には、「まめに心を配って生活する」、「まめに暮らせるように」という願いがこめられています。

柿なます
「お祝いの水引」をかたどって、大根、にんじん、ごまをあえたものに加え、かつてはとても貴重だった柿を入れることで、特別なご馳走として扱われました。

白米ごはん
山あいの遠野では冷害に悩まされることも多く、昭和の初め頃までは米が十分にとれませんでした。ふだんは雑穀を混ぜて食べることが多かったため、大晦日に炊く真っ白なご飯は、格別のごちそう。一年のしめくくりに味わう、特別な一椀でした。

吸い物
タラのきく(白子)などを使った吸い物が人気です。

年越しの膳をはじめとして酒肴の準備を整えた後は、年取りのお祝いです。料理を家族みんなで囲み、除夜の鐘を聞きながら、静かに新しい年を迎えます。

遠野市立博物館では、昔の冬の遠野の暮らしの資料を見ることができます。

 

年始編へつづきます

ここまでご紹介してきたのは、「年の瀬の遠野」です。

この先、年が明けると、元旦の若水汲みや元朝詣り、そして「女の正月」とも呼ばれる小正月の行事へと続いていきます。

次回の「新年の遠野」編では、歳神様を迎えたあとの遠野の正月行事や、豊作を祈る小正月の不思議で少し変わった風習をご紹介します。

 

昔ながらの門松が見られる場所

遠野の門松は、かつてはどの家にも立てられていた身近な正月飾りでしたが、現在ではすべての家庭で見られるわけではなくなりました。それでも、この土地ならではの形や風習を今に伝える場所が残されています。

 伝承園

遠野の昔話や民俗文化を体感できる施設です。曲り家をはじめとする古民家が並び、囲炉裏のある生活空間や昔ながらの農具などが展示されています。年末年始には、伝統的な門松やしめ飾りが飾られ、遠野ならではの正月風景を楽しめます。

  • 門松は12月下旬〜1月中旬頃まで見ることができます。

 遠野ふるさと村

遠野の原風景を再現した広大な体験型施設で、四季折々の農村文化に触れられます。かやぶき屋根の曲り家や田畑が広がり、昔ながらの暮らしを感じられるのが魅力。正月には、手作りの門松や伝統行事が行われ、遠野の年迎えを間近で体験できます。

  • 門松は12月下旬〜1月中旬頃まで見ることができます。