新年の遠野 ― 大正月から小正月への冬の祈り
遠野の冬は、ただ厳しいばかりではありません。年が明けてもなお、大地に豊かな恵みを乞う人々の切なる祈りが、時間とともに折り重なる季節です。
遠野の暦が刻む新年の営みは、元旦の若水汲み(わかみずくみ)から始まる静かでつつましい「大正月」と、十五日に迎える賑やかな「小正月」という二つの柱で成り立っています。かつて大正月は、一家の主である男性を中心に、静かに年神様を迎える「男の正月」であり、対して小正月は、女性たちが家事から解放され、伝統的な行事や餅つきなどを賑やかに楽しむ「女の正月」とされ、女性たちへの敬意も感じられる特別な時期でした。
これらは単なる年中行事にとどまらず、厳しい雪国で暮らしを支えてきた人々の知恵であり、すべての営みが一つの環となる「祈りの循環」の象徴です。年の瀬から小正月まで、遠野を巡る信仰と願いの軌跡を辿りましょう。
目次
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大正月(1月1日〜7日)─ 男の正月、神聖なる時間の始まり
大正月は、「男の正月」「お上の正月」とも呼ばれ、歳神様を迎える静かで神聖な時間です。男性が中心となって、儀式を通じて家や地域を清める意味合いが込められています。
元日:若水汲みと元朝参り
元日の未明、年男(家長または嫡男)が斎戒沐浴(心身を清めること)し、新調した手桶で井戸などから水を汲みます。若水は古来より「生命を再生させる」力を持つと信じられ、邪気を払うとされるこの儀式が、遠野の一年の営み、祈りの環の第一歩を告げます。
また、まだ暗い早朝から神社へ向かう「元朝詣り(がんちょうまいり)」も、遠野では欠かせません。一般的な「初詣」よりも厳格に、元日の早朝のみに行われるこの習わしは、雪国の暮らしにおける信仰の深さと厳粛さを物語ります。
2日:仕事始めと挨拶
二日には「物始め」として新しい農具を準備したり、「仕事始め」として山仕事などを朝食前に済ませてしまいます。また、「礼(しゅうと礼)」と呼ばれる挨拶回りでは、嫁や婿が夫婦揃って実家へ新年の挨拶に伺う里帰りの文化があり、親族の絆を確認する大切な一日です。
3日:厄日
三日は「厄日」として物事をせずに謹慎して過ごすつつしみの心が、新年の静けさを守ります。
5日:お供え開き
五日には、供えた鏡餅を下ろして食べる「お供え開き」が行われます。
7日:七草と門松納め
七日は大正月の締めくくりとして、最も行事が集中する日です。この日の朝も井戸の水を汲んで若水とする家が多く、家によっては元日から七日間連続で若水を汲むところもあります。
また、まだ暗い夜明け前に、まな板の上で七草をたたきながら、独特の唱えごと「とうどのとらと、田舎のとらと(または、とうどのとらが、いなかのとちに)わたらんさきに、なに草はたく、七草はたく」を三回繰り返します。
本来は春の七草全てを用いるべきですが、遠野では主にセリだけで済ませ、手に入らない場合は大根の葉や漬け菜などで代用することもありました。たたいた七草(あるいはセリ)を入れた小豆粥を食し、一年の無病息災を祈ります。
そしてこの七日をもって、多くの家で、お正月の飾りであった門松を解体し氏神様に納める「門松納め」が行われ、大正月は幕を閉じます。
大正月と小正月の間の日
大正月が終わり、小正月を迎えるまでの間にも、遠野の人々は来るべき春と豊かさを願う、特徴的な風習を伝えてきました。この期間は、新年の清浄な儀式から、農耕への準備と豊穣を祈る賑やかな小正月へと橋渡しをする大切な時間です。
11日の風習
飴の餅:この日、遠野では餅に棒状の飴を差し込んで食べる風習がありました。砂糖が貴重であった時代、これは格別のご馳走であり、一年間の無病息災を願う特別な食べ物でした。この餅を食べないと「地獄で鬼に舌を抜かれる」という言い伝えもあります。
いと蒔き:雪の上に厩肥(うまやごえ、家畜の糞を混ぜた堆肥)を出し、そこに萱(かや)やオガラ(麻の茎)を立てて麻に見立てる行事です。これは、重要な衣料であった麻の豊作を願い、祈願する行為であり、「いとを蒔く」と呼びました。雪国の厳しい冬の中で、既に春の農作業への願いが込められており、現在では麻が栽培されていないため、この風習は見られなくなりつつありますが、これが一年の農耕儀礼の始まりを告げる行事とされていました。
小正月(1月14日〜20日)─ 女の正月、五穀豊穣への願い
十五日を中心とする小正月は、「女の正月」「百姓の正月」とも呼ばれ、大正月とは対照的に、五穀豊穣を願う数々の儀礼と賑わいに満ちた「冬のクライマックス」です。遠野の冬行事の中心となるこの期間は、14日の「小正月の年取り」から始まります。女性や子供たちが中心となって、来る春への切実な願いを形にします。
14日:小正月の年取り
この日は、小正月に神仏や日頃使う道具に供える餅(米の餅の他に、小豆餅、粟餅、豆餅など)をつくります。日が暮れる前に年取りの祝いを行うことが重要とされ、もし日没後に行うと、その年は何事もうまく運ばないと伝えられています。
15日:作り物と農耕儀礼
小正月の中心となる15日は、「作り物」「農耕儀礼」「占い」の三つに大別される、最も行事が集中する日です。
伝承園:お作立て
お作立て(おさくだて)に宿る豊穣の祈り
豊作の様子を象徴的に再現する「お作立て(おさくだて)」は、三段重ねのミズキ(瑞木)の枝をすり臼に立てて作られます。この三段重ねは、三代(親・子・孫)の繁栄を象徴しており、祈りの環を次の世代へと繋ぐ豊穣を祈願する飾りです。
伝承園:お作立て
ミズキの枝に団子を刺すのは、秋の実りを願う意味合いがあります。添え物として、エゾハギの枝に餅をつけた豆木(まめぎ)、藁に餅をつけた稲ばせ(いなばせ)、繭に似せた団子をつけた繭団子(まゆだんご)、葉のついた篠竹に手のひらくらいの大きさの餅をつける粟穂(あわぼ)などが飾られ、五穀豊穣の祈りが具体的に表現されます。
伝承園:稲ばせ(いなばせ)
雑穀・野菜の豊作を願う
寒冷なため米の取れにくい地域であった遠野では、雑穀や野菜の豊作も重要でした。「なり木立て(なりきだて)」では、クリの枝にクルミの若枝で作った花を指し、夕顔の花に見立てて豊作を祈ります。
遠野ふるさと村:なり木
災いを遠ざけ、豊作を祈る慣習
豊作を脅かす災いを遠ざけるための、古くからの知恵に基づく慣習も数多く受け継がれています。モグラはナマコが苦手と伝えられており「ナマゴ(ナマコ)すり(ナマコひき)」では、ワラで編んだタワシのようなナマコを引きながら「ナマゴ殿のお通りだ モグラ殿のお国替え」と唱え、作物を荒らすモグラを追い払います。
遠野ふるさと村:ナマゴひき(ナマゴすり)
「カラスの年取り(カラス呼ばり)」「ネズミの年取り」では、子供たちが餅や団子を投げ与え、カラスやネズミをもてなします。これらの動物は神仏のお使いだと考えられてきました。特にカラス呼ばりでは「カーラ、カラス あずき餅けっから飛んでこうこう あずき餅けっから飛んでこう」と小さく切った餅を投げながらカラスを呼びます。
伝承園:カラス呼ばり
魔除けと家内安全のまじない
悪病を避けるためのまじないとして、クリの小枝の先に飾り、小豆餅や田作魚を挟んだ串を入り口や窓に刺す「窓ふさぎ(窓ふたぎ)」や、猫柳またはクリの小枝と熊笹を束ねたものを屋根に刺して魔除けとする「屋根ふき(屋根葺)」もこの日に行われました。
豊作を確信に変える農耕儀礼
庭の雪の上に田んぼの形を作って門松に使っていた松葉を苗に見立てて植える「お田植え」は、事前に田植えをまねて行うことで、豊作を祈る儀礼です。
遠野ふるさと村:お田植え
また、主に男性が行う「やろぐろう(やらぐろう)」は、マメの皮とソバ粉を撒きながら「やろぐろ(やらくろ)、 とんびくろ、とんでこう。銭もこかねも飛んでこう。 ウマこ持ちの殿かな。ベコッコ(牛)持ちの殿かな。 マメの皮もふがふが、ソバのかもふがふが。」と唱えながら三回歩きます。
遠野ふるさと村:やろぐろう(やらうろう)
「なり木ぜめ」では、一人の男性が屋敷の中の果樹の幹を斧やナタで叩きながら「こら、よい実がなるか。ならねば切るぞ」といい、他の人(女性)が「はい、なりますなります。よい実をならせるから、切らないでたもれ」と唱え、果実の豊作を祈願します。
遠野ふるさと村:なり木ぜめ
占い
※イメージ図
その年の作柄を占う「作見(さくみ)」(餅についた米粒の多少で占う)や、クルミの殻を囲炉裏で焼いて、その焼け方で天候を占う「月見(つきみ)」は、自然と共存する農家の知恵と心の準備を象徴しています。
これらの行事すべてに、五穀豊穣を願う、遠野の人たちの切なる祈りが込められています。
16日:若水・藪入り・オシラサマ
元日と同様に、この日の朝も一年の清浄を願う若水を汲む風習が残ります。また、「地獄の釜の蓋の開く日」とされ、奉公人が正月休みで実家に帰る日でもあります(藪入り(やぶいり))。
そして、遠野の家の神オシラサマを祀る家では、この日にオシラサマの顔に白粉(おしろい)を塗ったり、新しい布(オセンダク)を着せる「おしらあそび」が行われます。
遠野ふるさと村:おしらあそび
また、女性たちが餅などを持って寺参りをしたのも、この日でした。家々の信仰心が篤かった時代を今に伝えています。
20日:小正月の締めくくり ― アワ刈り
20日は、小正月の行事の締めくくりとなる「アワ刈り」が行われます。この日は、前日まで飾っていたお作立てを片付ける、収穫の日とされます。お作立てに使われた瑞木(みずき)は、雷が鳴る時に燃やして煙を立てると雷が落ちないという言い伝えから、取っておく家もありました。
アワ刈りが終わると、「芽出し」といって仕事を休み、ご馳走を食べて過ごします。また、子どもたちは、瑞木の小枝で作った鉤(かぎ)で引っ張りごっこなどをして遊び、こうして小正月が終わります。
遠野に、今も息づく祈りの風習
柳田國男が『遠野物語』にも記したように、年の瀬の慎ましい準備から始まり、大正月を経て、豊穣を願う数々の儀式が繰り広げられた小正月。この「新年の遠野」編で辿ってきた軌跡は、単なる過ぎ去った風習ではなく、厳しい冬を生き抜く人々の深い信仰心と、自然と共に生きる知恵そのものです。
遠野の門松が次の農業に活かされていくように、一つ一つの行事は途切れることのない「祈りの環」を成し、今もこの地に息づいています。
『遠野物語』の舞台でもある遠野は、こうした奥深い精神文化を持つ場所です。雪に包まれた冬の静けさの中にこそ、現代社会では見失われがちな、生命への感謝と、家族・共同体の絆を再認識させてくれる温かい世界が広がっています。
この冬、ぜひ遠野の地を踏み、伝承園や遠野ふるさと村で、受け継がれてきた人々の知恵と、深く、温かい祈りの心に触れてみてはいかがでしょうか。静かな冬の旅路は、きっとあなたの心に、未来へと繋がる物語を語りかけてくることでしょう。
遠野の小正月行事体験スポット
遠野の冬の祈りの心をより深く感じるために、実際に小正月に関連する行事や展示を体験できる施設をご紹介します。これらの施設を訪れることで、遠野の文化と生活の知恵に触れることができます。
遠野市立博物館
遠野の歴史、民俗、自然に関する総合的な資料を収蔵・展示しているのが、遠野市立博物館です。『遠野物語』を生んだ精神文化の源流をたどる柳田國男と佐々木喜善(鏡石)の関係資料や、遠野の暮らしを支えてきた農具、衣食住に関する民俗資料が充実しています。本記事で紹介した遠野の正月の風習や年中行事の背景にある精神文化を、より深く理解することができます。企画展も定期的に開催されていますので、ぜひお立ち寄りください。
⇒詳しくはこちら

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