遠野遺産を巡ろう ~まだ知らない遠野に出会う”歴史の道”~
コース概要:遠野遺産第86号「清心尼公の碑」▶遠野遺産91号「太郎淵」▶遠野遺産第84号「阿曽沼公歴代の碑」▶遠野遺産82号「村兵稲荷神社(金ヶ澤稲荷神社)」▶遠野遺産96号「横田城跡及び彼岸桜と山桜」▶遠野遺産35号「元八幡宮境内地及び夫婦杉桜」▶遠野遺産85号「飢饉の碑」▶遠野遺産第2号「遠野七観音・松崎観音」▶遠野遺産95号「母也明神と巫女塚」
文化財にはなりにくいけども、次世代に残したい地域の「たからもの」を保存し活用するため、遠野市は全国でも比較的早く2007年から遠野遺産認定制度の取り組みをスタートしました。現在では遠野遺産は169件あります。そんな遠野遺産をめぐる旅の一つをご紹介します。
遠野はかつて城下町で、駅前からまっすぐ歩けば遠野を治めた南部氏の鍋倉城跡などがあります。しかし、鍋倉城ができる前、遠野の中心は別の場所にあったのをご存じでしょうか。遠野駅より川を挟んで北側、田園広がる松崎町にかつての政治の中心がありました。松崎町には、阿曽沼氏の居城であった横田城をはじめ、今も神社旧跡が点在しています。
サイクリングにも最適な、遠野遺産巡る歴史の旅のはじまりです。
清心尼公の碑
遠野遺産第86号
道路から少し山側に、遠野を治めた遠野南部家第21代当主・清心尼の碑が建っています。清心尼は、全国でも珍しい女性の殿様でした。秋には美しい紅葉が見られます。
太郎淵
遠野遺産91号
カッパ淵は実は1ヶ所ではありません。ここの太郎淵もカッパが住んでいたといわれる場所です。
『遠野物語』第55話に「川には河童多く住めり。猿が石川ことに多し」とあり、光興寺の淵に太郎という河童が住んでいて、洗濯など水仕事に来る女たちをのぞきに来ては悪さをして困らせたという。また、この下の淵にも太郎河童に言い寄る女河童が住んでいて、それぞれ太郎淵・女ヶ淵と言い、今でも2匹の河童が住むといわれています。
元々は河川でしたが改修にあたり現在は淵が残され公園として整備されています。現在でも河童がひょっこりと現れそうな雰囲気を残しています。
阿曽沼公歴代の碑
遠野遺産第84号
道路からすぐ脇の石段を上がったところに、阿曽沼公歴代の碑があります。阿曽沼氏は藤原秀郷の流れをくむ氏族。文治5年(1189)奥州征伐の功により、源頼朝から遠野十二郷を与えられ、慶長5年(1600)まで遠野を治めました。
村兵稲荷神社(金ヶ澤稲荷神社)
遠野遺産82号
文政元年(1818)遠野の豪商・村上兵右衛門が建て主となり、建立した神社。建立時には江戸の庭師を招いて見事な庭園を造り、その際には集落の庭園造りにも当たらせたそうです。例大祭には500人もの人々が集まったのだとか。例祭は9月23日に行われます。
横田城跡及び彼岸桜と山桜
遠野遺産96号
横田城は、かつて遠野を治めた阿曽沼氏の居城。天正年間に第13代阿曽沼広郷が鍋倉山に移るまではこの場所に拠点を構えていました。城内には薬師堂があり、建武元年(1334)南部師行が巡検した際に大御堂が建立されましたが、その後焼失し現在は小堂が残っています。遠野市の指定天然記念物である彼岸桜(推定樹齢300年、樹高17m、目通幹周4.6m)と山桜(推定樹齢300年、樹高16m、目通幹周4.7m)があり、歴史を感じさせます。
元八幡宮境内地及び夫婦杉桜
遠野遺産35号
猫神社や南部流鏑馬、美しい紅葉のライトアップで知られる遠野郷八幡宮は、かつてこの地にありました。阿曽沼氏がこの地に八幡宮を勧請しましたが、阿曽沼氏が衰退し、南部氏が寛永四年(1627)に遠野に入部して寛文元年(1661)に現在の場所に八幡宮を遷宮しました。元境内にある「夫婦杉桜」は、スギとサクラが根元で抱き合い、根を絡め合わせて長い年月よりそう夫婦のような姿をしています。
飢饉の碑
遠野遺産85号
道路脇に並ぶ石碑は、宝暦の大飢饉の餓死者の供養碑で、宝暦7年(1757)に建てられました。石碑には「宝暦七丑年 飢渇死有無縁聖霊 二月初四日」と刻まれています。宝暦の飢饉は未曽有の大飢饉で、『遠野古事記』によれば、遠野領内の餓死者2,500人、出奔者494人、死馬2,000頭にのぼったといわれています。
遠野七観音・松崎観音
遠野遺産第2号
1日ですべて巡ると願いが叶うという言い伝えがある遠野七観音の第二番札所。草創は大同2年(807)で、嘉祥4年(851)慈覚大師が遠野において一つの木から7体の観音像を刻みそれぞれの観音堂に安置しました。柳田國男も遠野来訪時に松崎観音を訪れており、高台から遠野盆地を見ていたかもしれません。
母也明神と巫女塚
遠野遺産95号
『遠野物語拾遺』第28話に由来が伝えられている場所です。昔、綾織から来ていた巫女が、婿を疎ましく思い、生贄にしようとしたところ娘まで一緒に生贄になり堰に沈んでしまった。この夫婦と乗っていた馬を堰神として祀り、悲しんで入水した母巫女を祀ったのが母也明神といわれています。近くには巫女、娘、婿の石碑があり、巫女塚として供養されています。
紹介した9つの遠野遺産は山際の平坦な道路の脇に位置しており、ドライブでも、サイクリングでもおすすめのコースです。
遠野遺産を巡れば、まだ知らない遠野の顔に出会えるでしょう。