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縁結びと鎮魂のスピリチュアルコース

目安:2時間程度
徒歩

コース概要:横田城跡及び彼岸桜と山桜▶阿曽沼公歴代の碑▶清心尼公の碑▶加茂神社と御神木の桜▶鍋倉城跡

フォトジェニックで人気な遠野屈指の観光名所から、知る人ぞ知るスピリチュアルスポットまで。川から山までの高低差が、景色の変化も楽しませてくれるゴールデンコース。地域コミュニティが遠野遺産を丁寧に手入れしている様子も伺える。
※山中を歩くコースのため、熊鈴を持参するなど熊対策をしていきましょう!

2024年版「世界の持続可能な観光地トップ100選」に選出された遠野市。なかでも評価されたのは遠野市独自の地域遺産制度「遠野遺産」です。神社や史跡、巨木、滝、石碑、さらには年中行事や郷土芸能といった地域の宝を巡ってみよう!

モデルコース

遠野遺産第145号 卯子酉神社

観光の目安:約10分

【遺産の概要】
遠野の村兵に長く奉公していた譜代村出身の平兵衛(港屋)が文久年間に普代村鳥居にある卯子酉明神の分霊を勧請したといわれています。倉堀神社は延宝2年倉堀権左衛門が勧請したと言われており、昔、神社の裏手は旧猿ヶ石川の淵から転化した池跡があり、片葉の芦が生えていたと言われ、『遠野物語拾遺』第35話には淵の主に芦へ紙に書いた恋の願いを結びつけておくと男女の縁が結ばれるとの伝説が残されていて、現在も敷地内の木の枝に片手で赤い布を結びつけることができれば良縁に恵まれ、男女が結ばれるという風習が残っており、多くの観光客が訪れています。

徒歩で移動:約5
長作堤防の記念碑

遠野遺産第158号 長作堤防の記念碑とその周辺

観光の目安:約10分

【遺産の概要】
四戸長作が、水害防止のために築いた堤防の記念碑とその周辺。文政年間(1818~1831)当時、猿ヶ石川は、毎年のように氾濫し、六日町や下同心町に水害をもたらしていた。天保6年(1835) 、長作は資私財を投じて落合の来内川から愛宕山の麓まで550間(約1㎞)の築堤工事に着手し、9年間を要して完成させた。築堤工事により離水した旧川跡には新田を造成して遠野南部家に献上し、その功により士分格を許され四戸氏を名乗ったという。
このことは古文書にも記載があり、市内小中学校の郷土史の教科書である「郷土の先人探訪」「遠野先覚者物語」等の中でも紹介されている。
石碑周辺は草地となっており、地域住民の手による草刈り、清掃、花壇の整備などが定期的に行われている。

徒歩で移動:約15

遠野遺産第144号 新里の愛宕神社

観光の目安:約10分

【遺産の概要】
阿曾沼氏が文治年間に勧請したと伝えられ、延宝2年南部直栄が大破していたお堂を再興しました。『遠野物語拾遺』第64話に愛宕様が和尚の姿になって火事を消した逸話が残っており、遠野城下町の境に位置し城下を守る神様としても信仰され、旅の安全を感謝した「山ノ神」「出羽三山」の石碑が建立されています。参道の石段は新町の豪商両川覚兵衛が正徳6年に寄進し、桜の老木は文化~天保の頃遠野の医師(儒学者)和田元庸が京都の嵐山を模して植樹したとの記録が残っています。古くから「愛宕さん」として親しまれており、毎年「愛宕さんまつり」を開催しています。

徒歩で移動:約10

遠野遺産第162号 五百羅漢

観光の目安:約10分

【遺産の概要】
宝暦5年(1755年)洪水に加えて悪疫が大流行し、南部藩4大飢饉に数えられる大凶作により、藩全体で餓死・病死6万余人、死馬2万頭を超えたといわれています(その時の、人口の20%に値)。翌年もその影響をうけ、遠野領内だけでも餓死2,500人、出奔者494人、死馬2,000頭にのぼり、以後も不作、凶作が相次ぎました。
天明3年(1765年)大慈寺19代義山(ぎざん)和尚が、度重なる凶作による餓死者を鎮魂するため、大小500の自然石に阿羅漢像を彫り続けました。

徒歩で移動:約15

遠野遺産146号 程洞稲荷神社とその周辺

観光の目安:約10分

【遺産の概要】
明和2年宮義道が同家の鎮守として勧請したと言われています。大正9年に鞘堂を建設し、境内には三本足の烏を神とした烏神の小社が祀られています。烏が岩間から湧き出る水を飲んで金色に変わり飛び去り、村人が試しにその水を飲んだところ病が治癒したため、以来、婦人病に霊験があると伝えられています。また、霊水には砂金が含まれ、金精を増したとの伝承もあり金精様も多く奉納されています。夏でも冷気が感じられる場所で、遠野の観光ガイドブックにも掲載され、パワースポットとして観光客が訪れています。

コースマップ